田舎の神社は儲からない? -3- ルーツを探る【ウチは何の神様?】 [日記]
『田舎の神社は儲からない?』とはあまり関係なくなっていますが・・・。
神社に行くと、【祭神「国常立神」とか「誉田別名(命)」】等と書いてある。
ふと思う。
ウチの先祖が神主をやっていた頃って、何の神様を祭っていたのだろう?と。
実家に帰って、聞いてみた。
が、父は知らないようで。。。
で、昔の書類(?)を出してきた。
この書類、父が1年くらいかけて方々連絡を取って整理した物で、
電話は勿論、高齢で喋ることができない人とは手紙のやり取りのみで揃え、
大変な苦労をしたという、俺としてはまったく頭が上がらない、そういう代物です。
さて、その中で『神主関連』のものは・・・2枚だけのようです。
各々和紙に墨で書かれたもので、筆記体というかなんと言うか・・・
・・・読めない箇所が結構ある。
以前、3代くらい前まで神主をやっていた。。。と書いたが、
これを見る限り、たぶん5代前ですね。。。
で、判明したのは、
①【伊予国風早郡国津彦命神社・・正祝〇〇〇】、【天保14年(1843年)〇月〇日】
→〇〇〇は、高祖父の父(俺の、ひいひいひいお爺さんの御名前)。
②【三島大明神神主〇〇〇】、【慶応元年(1865年)〇月〇日】
2枚とも何処からか発行された、証書のようなものです。
天保14年は、高祖父の父が生まれた日なのか?神主になった日なのか?
慶応元年が神主になった日なのか?
『正祝』って、何?
書かれている年月日が何を意味するのか。。。
戸籍法以前のものは、ハッキリしたものが見つからないようです。
ここで出てくるのは、【国津彦命】という御名前ですが、
かる~くネットで調べてみると、どうもこれは神様の名ではないのかな?
で、【国津彦】も【国津比古】でしか出てきません。
結局、主祭神がどういう神様なのか判らないまま終わりかと思ったが。。。
【国津比古神社】で検索して見てみると、四国のほうでも九州のほうでも、
御祭神は『天照國照彦天火明櫛玉饒速日尊』
読みは、(あまてる くにてるひこ あまのほあかり くしたま にぎはやひのみこと)。
・・・長いね。
短くは、『にぎはやひのみこと』とか、『天火明命(あめのほあかりのみこと)』
と同一の神様であるとか、なんだかそんな感じらしいのですが。。。
ウチの御先祖の神社も、主祭神はこの御方ということでいいのかなぁ。。。
この神様祭っている神社って、殆ど京都・奈良・大阪のようで、
ウチからお参りに行くには、遠すぎる。
【国津彦】と【国津比古】が、あてた字が違うだけならいいのだけれど、
全く違うものとなると、もうさっぱり判らず終い・・・ということになりますね。
それと【三島大明神】というのも、また御祭神が違っていたりするようですが・・・。
なんだかもう、ごちゃごちゃで解らなくなっちゃったよ。
現地で、江戸時代末期生まれで御存命の方がいらっしゃれば・・・って、何処にもいないよね。
一箇所、2つあるお宮のうち、ひとつは江戸時代に山の上から移された・・・
というお宮が松山にあった。山の上?もしかして・・・と思ったが、
。。。360年前?じゃあ、違うかなぁ・・・。
父曰く、御先祖の神社は何処かに移されたという事も無く、消滅らしいので・・・。
あれ?結局探れずに終わったのか? お疲れ様でした。
【関連】田舎の神社は儲からない?
田舎の神社は儲からない? 2
神社に行くと、【祭神「国常立神」とか「誉田別名(命)」】等と書いてある。
ふと思う。
ウチの先祖が神主をやっていた頃って、何の神様を祭っていたのだろう?と。
実家に帰って、聞いてみた。
が、父は知らないようで。。。
で、昔の書類(?)を出してきた。
この書類、父が1年くらいかけて方々連絡を取って整理した物で、
電話は勿論、高齢で喋ることができない人とは手紙のやり取りのみで揃え、
大変な苦労をしたという、俺としてはまったく頭が上がらない、そういう代物です。
さて、その中で『神主関連』のものは・・・2枚だけのようです。
各々和紙に墨で書かれたもので、筆記体というかなんと言うか・・・
・・・読めない箇所が結構ある。
以前、3代くらい前まで神主をやっていた。。。と書いたが、
これを見る限り、たぶん5代前ですね。。。
で、判明したのは、
①【伊予国風早郡国津彦命神社・・正祝〇〇〇】、【天保14年(1843年)〇月〇日】
→〇〇〇は、高祖父の父(俺の、ひいひいひいお爺さんの御名前)。
②【三島大明神神主〇〇〇】、【慶応元年(1865年)〇月〇日】
2枚とも何処からか発行された、証書のようなものです。
天保14年は、高祖父の父が生まれた日なのか?神主になった日なのか?
慶応元年が神主になった日なのか?
『正祝』って、何?
書かれている年月日が何を意味するのか。。。
戸籍法以前のものは、ハッキリしたものが見つからないようです。
ここで出てくるのは、【国津彦命】という御名前ですが、
かる~くネットで調べてみると、どうもこれは神様の名ではないのかな?
で、【国津彦】も【国津比古】でしか出てきません。
結局、主祭神がどういう神様なのか判らないまま終わりかと思ったが。。。
【国津比古神社】で検索して見てみると、四国のほうでも九州のほうでも、
御祭神は『天照國照彦天火明櫛玉饒速日尊』
読みは、(あまてる くにてるひこ あまのほあかり くしたま にぎはやひのみこと)。
・・・長いね。
短くは、『にぎはやひのみこと』とか、『天火明命(あめのほあかりのみこと)』
と同一の神様であるとか、なんだかそんな感じらしいのですが。。。
ウチの御先祖の神社も、主祭神はこの御方ということでいいのかなぁ。。。
この神様祭っている神社って、殆ど京都・奈良・大阪のようで、
ウチからお参りに行くには、遠すぎる。
【国津彦】と【国津比古】が、あてた字が違うだけならいいのだけれど、
全く違うものとなると、もうさっぱり判らず終い・・・ということになりますね。
それと【三島大明神】というのも、また御祭神が違っていたりするようですが・・・。
なんだかもう、ごちゃごちゃで解らなくなっちゃったよ。
現地で、江戸時代末期生まれで御存命の方がいらっしゃれば・・・って、何処にもいないよね。
一箇所、2つあるお宮のうち、ひとつは江戸時代に山の上から移された・・・
というお宮が松山にあった。山の上?もしかして・・・と思ったが、
。。。360年前?じゃあ、違うかなぁ・・・。
父曰く、御先祖の神社は何処かに移されたという事も無く、消滅らしいので・・・。
あれ?結局探れずに終わったのか? お疲れ様でした。
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田舎の神社は儲からない? 2
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